Franz Liszt (1811-1886)
フリー百科事典の解説…… リスト
ハンガリー生まれの音楽家で、特にピアニスト、作曲家として活躍した。超絶的な技巧を持つ当時最大のピアニストで「ピアノの魔術師」と呼ばれた。
1831年にパガニーニの演奏を聴いて感銘を受け、自らも超絶技巧を目指した。同時代の人に、ショパン、シューマンがいて、親交が深かった。
◆伝説のピアニスト・リスト
リストは、パリ時代(10代後半)とワイマール時代(40代?)にピアノ教師としての活動をしています。
パリ時代のリストは、16歳のときに父親を亡くして、生活苦のためピアノを教えていたそうですが、後世に評価が高いのは、ワイマール時代の活動です。
この頃のリストは、伝説のピアニストとしての活動を終え、ひっそりと指揮活動を行っていましたが、彼の元にはたくさんの音楽家が教えを請いに集まり、ワイマールはこの時代、音楽教育の中心地となりました。
◆伝説のピアニスト・リストについてのエピソード
リストがチェルニーの弟子だった事実は有名です。
しかし、リストは少年時代から天才で、チェルニーはリストの演奏を一目見るなりその才能にほれ込み、レッスン代をとらずに教えたと言います。
しかし、演奏スタイルは非常に奇妙で、この頃から、ピアノのイスが暴れ馬のごとく、身体全体、大げさなアクションで弾いていたそうです。
その後、チェルニーの元を去りますが、当時のバイオリニスト、ニコロ・パガニーニの悪魔的な演奏に非常に感銘を受け、彼は「伝説の技術」と「伝説の破壊屋の道を歩み始めることになります。
しかし、演奏のパフォーマンスだけでなく、ピアニストとしての腕も相当なもので、ピアニストとしての評価は同時代のショパンより、遥かに上でした。
その後、リストのライバルとして、タールベルクが現れましたが、結局聴衆の判定は、「どちらもすごすぎて、優劣がつけられないよ」でした。
結果、タールベルクは世界最高のピアニストと呼ばれたものの、リストはその上を行く、世界唯一のピアニストと呼ばれました。
リストの演奏は、超スピード、豪快パワフルという弾き方だったそうですが、それだけでなく、ピアノ奏法に関しても、相当の技術を持っていました。
しかし、リストは教師としての立場に立ったとき、自分の奏法に関しては指導しなかったようです。
「私のやり方は真似てはいけない。私のやり方で、私は成功できたが、あなたはきっと失敗するだろう。これは私だからできたとしか言えないのだ」と。
◇伝説のピアニスト・リストの名言
・演奏家は作品の消極的な召使いではない。作品の演奏は、音符どおりに弾けばよいというものではなく、創造的能力を必要とする。また、その演奏の価値は芸術家としての教養にかかっている。
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名ピアニストの練習 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ |
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