ウラディーミル・ホロヴィッツ「ピアニストの為のピアニスト」、「ピアノの為のピアニスト」と呼ばれるほど、鋭い音色美を生涯追及した鬼才。
ラフマニノフのソナタ第二番、リストのピアノソナタの諸録音は「悪魔的」と形容されることが許される貴重な音源である。
ホロヴィッツのピアノは圧倒的に鋭く豪快で、とてつもなく音が大きく、そして完璧なテクニックに魔的な魅力を備えた構造を持つピアニストであった。最近のピアニストは端正には成ったが、品格や個性の面で気薄になりつつある面でホロヴィッツの様なアカデミズム圏を無視した出身者のピアニストは現在見当たらない。
ホロビッツが新しい曲に挑戦するとき
まず作曲家のすべてを学ぶことから始める。彼の全作品を弾いてみる。
アンサンブル用の曲もとにかく全部を弾く。レコードを聴くんじゃない。自分で弾くのだ。私は初見の大家だからね。
全作品を弾くには、理由がある。曲の大小に関係なく、そこにこめられた作曲家の気分は同じだ。弾けば、その曲の持つ感情がわかる。その曲の本質が私に語りかけてくる。つまり、持ち味がわかるのだ。ある作曲家は勇壮をこめ、ある作曲家は詩的な思い入れをこめる。自分で弾くのは、レコードには真実がないからだ。
それに、私はその作曲家のすべてを知ることにしている。作曲家自身が書いた手紙を読む。時代柄、彼らはじつに膨大な数の手紙を書いている。それを読めば、作曲家の性格、誠実さ、好みがわかる。彼がほかにどんな音楽が好きで、どんな音楽がきらいだったかもわかる。手紙は本人の精神概念や音楽概念を知る手がかりだ。
その曲をはじめて弾くときは、ひたすら聴き、ひたすら考える。そこになにかしら隠されたものがあるからだ。音符を弾くだけでは、音楽ではない。その真になにがあり、その曲にどんな感情があり、なにが潜められているか、そこまで掘り下げなくてはだめなのだ。だから、はじめて弾いた翌日、私はもう一
度その譜を読んでみる。そして、つぎの二日間はそのまま放っておく。そして三日日にまた読んで、また二日放っておく。五日がたち、六日がたつ。すると、いつしか自分がその音楽に入りこんでいる。楽にすらすら弾けるのだ。
「弾いているときの私は、誰にも耳を貸さない。私自身のレコードさえ聴かない。誰からも何からも影響されたくないのだ。無意識に影響されるのさえいやだ。選んだ曲には、いつも、初対面のような気持ちで接し、受け止めていきたいのだ。弾いていて、ひとつひとつの旋律がはっきり心に染みとおってくる曲、そういう曲でなければ、私は弾けない。絶対に弾けない。
「思うに、演奏家にはある程度音楽家の本質がなくてはいけない。質の良し悪しはともかく、これまでの偉大なピアニストたちは決まって作曲もしている−一人残らずだ! さらに、芸術にはもうひとつの面がある。
即興だよ。即興なら、私も二時間は弾ける。私にとって、知性はつねにガイドだよ。決して演奏のゴールではない。三位一体は必要でも、その中の一つだけが抜きん出ることはよろしくない。
知性は高すぎてもいけない。音楽家は学者ではないのだ。感情過多もいけない。センチメンタルになってしまう。テクニック一辺倒もだめだ。
それでは機械と変わらなくなる。ピアノを使って筋肉強化の体操をしているわけではないのだ。(一部、略あり)
引用元 『普段着の巨匠たち』 ヘレン・エプスタイン 犬飼みずほ
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