ピアノが上手になる・超簡単ヒント集
うまくいかない人のための、逆転の発想

  ピアノの誕生


ピアノの誕生以前


 ピアノの誕生は、今から300年ほど前のお話です。
 この時代の音楽はバロック音楽と呼ばれ、時代的には古典派の手前に位置します。
 この時代の鍵盤楽器は、チェンバロ (ハープシコード) が主流でしたが、楽器の構造上、鍵盤は軽く、弾き手のタッチ (打鍵の強弱) によって音量や音色が大きく変わるものではありませんでした。
 ですから、演奏者の表現は、楽譜どおりに弾くことではなく、装飾音をどう付け加えるか? に向けられました。
 当時は、楽譜の枠を超えて即興的に装飾音を付け加える演奏が主流だったため、楽譜は、作者による「神聖な約束事」ではなかったのです。
 楽譜に縛られず、演奏者の自由な発想で曲を表現している、現在のジャズをイメージすると分かりやすいでしょう。

 ですから、現代のバッハの楽譜に見られる「モルデント」や「プラルトリラー」などの指示は、同じ曲でも楽譜の出版社によって、指示があったり、なかったりと、まちまちです。
 これは、当時の演奏形態を考慮した、後世の校訂者によって書き加えられたものなので、たとえ、自筆譜にその記号が書かれていない楽譜でも、指示があるほうが当時の演奏を再現しています。
 演奏者は装飾音で、楽器の貧弱さをカバーしていたのです。

  ピアノの誕生

 そんな鍵盤楽器の状況に不満を抱いていた一人の楽器製作者がいました。
 イタリアのフィレンツェで、メディチ家の楽器管理を担当していた、バルトロメオ・クリストフォリ (1655-1731) です。
 彼はチェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に感じ、チェンバロの発音方式 (ジャック先端の爪で弦を引っかく) をハンマーアクションに改良しました。
 この楽器の名前は、Gravicembalo col piano e forte (ピアノ〜フォルテまで音の強弱をつけられるチェンバロ) 。これが、ピアノの誕生でした。

 クリストフォリの死後、ドイツのオルガン製作者ゴットフリート・ジルバーマン (1683-1753) がピアノ製作を引き継ぎます。
 彼は、シピオーネ・マッフェイの書いた論文を頼りに自らもピアノ作りを試み、1730年代半ばに最初のピアノを製作しました。
 そして、自分の製作したピアノを大バッハ (J. S. Bach) に見せて意見を求めましたが、音の響きは褒められたものの、
「高音部が弱すぎるうえに、弾きづらい」
 と批判もされました。

 ジルバーマンの死後、ピアノはドイツ式とイギリス式の2系統に分かれます。

ドイツ式

 ドイツでは、ゴットフリード・ジルバーマンの甥、ハインリッヒ・ジルバーマンが、シュトラスブルクでピアノ製作を開始します。
 そして、後にヨハン・アンドレス・シュタインの娘、ナネッテと夫シュトライヒャーの元で、軽いタッチと軽快な音の「ウィーン式メカニック」が誕生します。
 モーツァルトはこのピアノの音色を愛し、多くのピアノ曲を書きましたが、ドイツ式のピアノはイギリス式ほどの普及は得られず、1909年を最後に幕を閉じました。


 イギリス式

 ゴットフリート・ジルバーマンの直弟子たち12人は、プロイセンとオーストリアの間に勃発した7年戦争を逃れるため、イギリスに渡っていました。
 そして、弟子の筆頭格である、ヨハネス・ツンペは、ロンドンのハープシコード製作者バーカット・シュディらとともに、ジルバーマンのピアノを改良し、「イギリス式シングルアクション」のスクエアピアノを発明しました。

 1780年代には、ジョン・ブロード・ウッドが、スクエアピアノをさらに進化させました。このピアノは、ホッパー(ジャック)でハンマーを突上げるため「突上げ式」と呼ばれているアクションで 、抵抗感のあるタッチと、重厚感のある音量を生み出しました。

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ピアノの誕生

Gravicembalo col piano e forte

 
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